対策&快復レポート
ロハスなまちづくりプラン
4.持続可能だった生態系を誰が破壊したのか?
責任追及をするつもりはありません。
当然、体調を壊した時には感情的にもなりましたし、今も、曝露すればイラッとしてしまいます。しかしながら、化学物質や電磁波、放射能汚染と環境影響のせいにしたところで、何も解決するわけでなく、自分以外は変えられない、外は変えてはいけない、という宇宙の法則を受けれざるを得ない状況にまで自分自身が追いつめられて、やっとコントラストの意味が腑に落ちました。12年かかりました。
それからは、目の前に起こるすべてが、気づき、学び、成長のために体験すべきステージだと自戒するしかない、自分の意識、考え方、生き方、すべてを変えるために、気づかせてくれる情景や体感だと、俯瞰的かつポジティブに捉えられる、少し大人になれたような感じです。
人間が自然を支配し、森林を破壊し、動物たちを絶滅するほど虐待し、水や大気、土壌を汚染し尽くしてきた、と罪の意識を常に負わせて、償わせようとする論説があります。宗教的だったり、教育的だったり、作為的だったり、いろいろ背景にはあると思います。
この「人間」という大きな括りで、いかにもすべての人間の責任、犯罪であるかのごとく、環境汚染や生態系破壊と結びつけるのに、最近、とても違和感があります。
戦争責任しかり、国家債務しかり、不公正な多数決、なんちゃって民主主義や共産主義によって、選挙、投票、議決の正義で推し進めた結果、影の扇動者であるステークホルダーは多数に紛れ隠れて、ツケだけ払わされる感覚です。
このテーマの「誰」とは、そのツケだけ払わせられ続けても、文句も言えず、どうせ何も変わらない、面倒になるだけと、何もせずにリスクを回避して、言われるがままマジョリティを装い、影で愚痴るだけで自分の生き方も変えず、まわりも、環境にも、見て見ぬ振りをしてきた「誰か」さん、そう、自分自身であり、その他、多数の人々=すべての人間、となる自虐感や罪悪感につながる論理です。
違和感とは、オムツをしていた時に、トイレトレーニングに失敗して、オシッコを漏らしトイレをひどく汚してしまった、その時の過ちを、ずっと責められ、叱られ、貶められているような感じです。
そんなこといつまでも言い続けて、責め続けて何になるのか、わからないです。すでに気づいて、学んで、成長しよう、と立ち上がった人間にとっては、その未熟な評価、価値観を手放せない人々を、説得して嫌々立ち上がらせる必要も感じていないでしょう。
気づいたから、これから、しっかりと反省して、環境の概念、自然との共生を学び、その大切さを自覚して、自分達ができるだけ最大の努力をして、美しい地球を次世代へ残していく、という意識にベクトルを合わせていく時だと思います。
とにかく「意識変革」アップデートが大切です。集中して意識をポジティブに向けられるようになれば、必ず現実化するのが、宇宙の法則ですから、一握りの人々であっても、強力な愛のエネルギーを集中させて、希望や理想をイメージすれば、きっと奇跡が起こるはずです(^-^)